2025年7月22日火曜日

おいら もっと もっと

美しい音をききたくて

欲ばってよ

ミミのあなに

ほちょうきという名の

そうちをとりつけてみた

と とたんに

音がわんさか わんさか 

おしかけてきた

ききたくない音まで

ようしゃなく

とびこんでくる

ぐぎゃああ、ぐへぇへ!!

おいら あんむけに

ぶったおれた

目はクルクル

くちはプクプク

あわまでふきでる

手と おまたが

おっぴらき

舌までが

まっかかになって

どうしようもない

たれかぁ~

とってくれへぇ 

とってくれへぇ

ぼそっ!!

・・・・・

・・・・・

しばし む音

さよう おいらは

しばし む音のひびきを

きいていた

そらは まっさおだった


精霊

森の頂上から飛び降り

下へ下へとまっしぐらに

木の枝から枝につたわって

まるで、風のように下へ下へと

飛び降りてゆく

下の端には道が見え

道のそばに

一本の大きな高い木があり

いつも最後には

そこで止まる

道には降りない

木の上から下の道を眺めるだけ

足のない私は

道に降りたら

二度と森に

もどれない

2025年7月21日月曜日

破棄

父は

身辺整理できぬまま死んだ

母が

解体屋にたのんで

父のためたゴミを

すべて破棄した

いま

わたしは

身辺整理をしている

父のように

妻や子供たちに

迷惑かけないように

わたしのゴミは

わたしが

ためたのだから

わたしが

破棄せねばならぬ


おれの脳

おれの脳は 

おかしい

おれの脳は 

重い

おれの脳は 

どす黒い

おれの脳は 

腐っている

おれの脳は 

固まっている

おれの脳は 

死んでいる

でも 

それでも

おれの体は 

生きている

という

苦しい夢を 

みた

三郎地蔵

峠に

小さな三郎地蔵がひとつ

立っていたのを

ふと

想いだし

懐かしみ

街を通り

田畑を横ぎり

橋をわたり

林をぬけ

丘にのぼり

峠にゆけば

小さな三郎地蔵がひとつ 

まだ

あったならば

道ばたの草花でも

たむけておくれ

きょうも 

じじの三郎は

お仕事に

車で出かけます

小雨の中

街の空は 

きれいな虹が

ふたつも

かかっていました

なぜか

朝から

しあわせな

じじの三郎でした

ステッカー

 ずっと前に、

何かのキャンペーンで

「今日もありがとう」

というステッカーをもらった

さっそく、湿布を腰に貼るように

車の後ろに貼った

これなら、誰もが目に付くだろう

ある人が、これを見て、

自分の運転席に貼ると良いのにね

と言われた


辿る人

書くことが好きだから書く

書くことが楽しいから書く

はじめはそれでいい

それでもいいけれど

その先に

あるものを

見つけてほしい

その先に

進んでほしい

あなたが辿った道のりを

書き残してほしい

書くあなただけが

辿り着ける場所がある

あなたが辿り着いた

その道のりを

誰かが

辿ってくれる

かもしれない


抒情詩からの離別

わたくしは

啄木 を 否定しよう

わたくしは

暮鳥 を 拒絶しよう

わたくしは

犀星 を 遠ざけよう

わたくしは

中也 を 棄てよう

そうしなければ

三郎 は ない

それを

ピカソが 教えてくれた

青春は

ピカソだ!

文学は

ピカ っと ひかって

ソ れだ!


自我という垢

自我の没却とか

自我の超越とか

言うけれど

考えは

理屈は

わかるけど

書いても

書いても

自我がわいてくる

しみついた自我を

洗い流すのはむずかしい

洗っても

洗っても

落ちない自我

だけど

書かないと

書いてみないと

自我の垢は見えない

書いては

洗い流し

書いては

洗い流してゆくしかない

それほど

しみついている

自我という垢