おいら もっと もっと
美しい音をききたくて
欲ばってよ
ミミのあなに
ほちょうきという名の
そうちをとりつけてみた
と とたんに
音がわんさか わんさか と
おしかけてきた
ききたくない音まで
ようしゃなく
とびこんでくる
ぐぎゃああ、ぐへぇへ!!
おいら あんむけに
ぶったおれた
目はクルクル
くちはプクプク
あわまでふきでる
手と おまたが
おっぴらき
舌までが
まっかかになって
どうしようもない
たれかぁ~
とってくれへぇ
とってくれへぇ
ぼそっ!!
・・・・・
・・・・・
しばし む音
さよう おいらは
しばし む音のひびきを
きいていた
そらは まっさおだった
森の頂上から飛び降り
下へ下へとまっしぐらに
木の枝から枝につたわって
まるで、風のように下へ下へと
飛び降りてゆく
下の端には道が見え
道のそばに
一本の大きな高い木があり
いつも最後には
そこで止まる
道には降りない
木の上から下の道を眺めるだけ
足のない私は
道に降りたら
二度と森に
もどれない
父は
身辺整理できぬまま死んだ
母が
解体屋にたのんで
父のためたゴミを
すべて破棄した
いま
わたしは
身辺整理をしている
父のように
妻や子供たちに
迷惑かけないように
わたしのゴミは
わたしが
ためたのだから
わたしが
破棄せねばならぬ
おれの脳は
おかしい
おれの脳は
重い
おれの脳は
どす黒い
おれの脳は
腐っている
おれの脳は
固まっている
おれの脳は
死んでいる
でも
それでも
おれの体は
生きている
という
苦しい夢を
みた
峠に
小さな三郎地蔵がひとつ
立っていたのを
ふと
想いだし
懐かしみ
街を通り
田畑を横ぎり
橋をわたり
林をぬけ
丘にのぼり
峠にゆけば
小さな三郎地蔵がひとつ
まだ
あったならば
道ばたの草花でも
たむけておくれ
きょうも
じじの三郎は
お仕事に
車で出かけます
小雨の中
街の空は
きれいな虹が
ふたつも
かかっていました
なぜか
朝から
しあわせな
じじの三郎でした
ずっと前に、
何かのキャンペーンで
「今日もありがとう」
というステッカーをもらった
さっそく、湿布を腰に貼るように
車の後ろに貼った
これなら、誰もが目に付くだろう
ある人が、これを見て、
自分の運転席に貼ると良いのにね
と言われた
書くことが好きだから書く
書くことが楽しいから書く
はじめはそれでいい
それでもいいけれど
その先に
あるものを
見つけてほしい
その先に
進んでほしい
あなたが辿った道のりを
書き残してほしい
書くあなただけが
辿り着ける場所がある
あなたが辿り着いた
その道のりを
誰かが
辿ってくれる
かもしれない
わたくしは
啄木 を 否定しよう
わたくしは
暮鳥 を 拒絶しよう
わたくしは
犀星 を 遠ざけよう
わたくしは
中也 を 棄てよう
そうしなければ
三郎 は ない
それを
ピカソが 教えてくれた
青春は
ピカソだ!
文学は
ピカ っと ひかって
ソ れだ!
自我の没却とか
自我の超越とか
言うけれど
考えは
理屈は
わかるけど
書いても
書いても
自我がわいてくる
しみついた自我を
洗い流すのはむずかしい
洗っても
洗っても
落ちない自我
だけど
書かないと
書いてみないと
自我の垢は見えない
書いては
洗い流し
書いては
洗い流してゆくしかない
それほど
しみついている
自我という垢
じじの三郎さんは
毎日、そばに置いているクッキーを
2、3個かじりながら
コップ一杯のあったかーい
ブラックコーヒーを飲むのが
楽しみです
ふーう
きょうも何事もないように
凡々とくらせますように
詩は・・
小説から文学の王座を奪われるまで
音楽で言えば
楽譜のようなもだった
小説のように
文字を目でたどって
読むための文章ではなかった
宴で披露され
歌劇や演劇で語られ
教会で語られ
路地で語られ
恋人に語られ
子供に語られ
詩はそういうものだった
シェークスピアの
ソネットは
鼓動をもとにつくられている
自分の作った詩を
片手に広げ
もう一つの片手を
自分の胸にあて
軽く胸を打ちながら
朗読をしてみたまえ
友人の前で
恋人の前で
子供たちの前で
朗読をしてみたまえ
君の鼓動が伝わるように
朗読をしてみたまえ
詩がたましいの
楽譜であることが
わかるであろう
ボクには 私淑する師匠が いる
それは
吉本青司 詩人
彼の詩集 日々のうた
を読んで
ボクもこのような 詩を かきたくなった
それは
詩のようであり
随筆のようであり
小説のようであり
哲学のようであり
それは
いったい なんだ
それは
詩 でもなく
随筆 でもなく
小説 でもなく
哲学 でもない
それは
作文 としか
いいようがない
ただの 作文
それは
ボクのめざす・・・もの
私は医療従事者なので
病院で皆より早く
コロナワクチンの注射を打つことになった
病院では、あくまでも希望者に限る
というおふれがあった
が、病院を忖度すれば、なかば半強制的というか
むしろ実験台のような雰囲気がないわけでもない
利き腕はどちらですか?
と医者に問われ
左腕を出す
注射の針を刺されるとチクっとする
それからワクチンを注入される
みょうに、芯が痛むような感じがした
コロナワクチンの注射を打たれて15分間、
じっとその場で様子見
異常が無いのでそのまま立ち去る
真夜中になって急に腕や肩に痛みが走る
そうだった、
以前、私の左肩は五十肩を起こして
あまりの痛さに七転八倒したっけ
コロナワクチンの一本の注射で再発か
夜、痛くて眠れない、寝返りもできない
病院から、なにか反応があったら連絡ください
と言われていたので、朝早く病院に連絡する
婦長さんが電話に出て
三郎さん、心配いりませんよ
大丈夫ですよ
それは想定内ですので
明日も痛みが消えなかったら連絡ください
えっ、想定内・・
しかたがないので、痛みをこらえ、
一日、ふとんをかぶって寝ていた
コロナワクチンの注射をしたら
明日は仕事を休んでくださいと
婦長さんが言うはずだ
翌朝、
目が覚めると嘘のように
腕や肩の痛みが消えていた
これなら、
病院の患者さんの送迎の運転はできるなぁ
朝、婦長さんから電話がかかってきて
三郎さん、腕の痛みは消えましたか?
仕事に出れますか?
ハイ、大丈夫です
病院の中でも、私の順番が
初日だったこともあって
私の反応の症状を皆が聴いていたらしく
翌日からの順番まちの同僚は
だいぶ覚悟していたようだ
三郎さん、そんなに痛くなかったですよ
わたし、なにもなかったみたい
くちぐちに看護師が言う
覚悟していたのが損をしたみたいに
何事もなくてよかったじゃないですか
そして、昨日、
二回目のコロナワクチン注射を
打ってもらった
いつものごとく医者は
利き腕はどちらですか?
いや、一回目は左腕に打たれて
痛くてたまらなかったので
今回は右腕に打ってください
五十肩の腕はやめて
右肩に注射を打ってもらう
あれ
チクリともしない
はい、終わりましたよ
隣の席で15分間座っていて、
何事も無かったら帰ってください
えっ、もう注射したの?
わからんかった
その日の夜もなんともない
早朝、注射されたところが
少し痛むだけでたいしたことはない
きょうは一日家に閉じこもって
ぶらぶらと暇をもてあましている
何か、仕事を休ませてもらって
申し訳ない気がしている
夕方、婦長さんから電話があった
どうですか?
また、痛みましたか?
いえ、なんともなかったです
よかったですね。
では、明日、出勤お願いしますね
ハイ
私をさわったわね
俺はさわってないぞ
なにやら
90歳を越えた爺と婆がもめている
それを
若い看護士が
必死にとめにはいっている
たしか
知欲はある
食欲はある
性欲は無くなった
と
言っていたが
ここは
重度認知症デイケア
ふ~む
たしかに
ふたりの人格も人権も
ちゃんと存在している
さて
もうそろそろ
送迎車で
ふたりを家まで送っていく時間
きょうも
あしたの風が吹いて
車を走らせるだろう
毎日の朝は
雨の日も
風の日も
晴れの日も
近くのスーパーで買った
小さな袋に入った
細切れの野菜を食べながら
自動販売機の110円の
ブラック珈琲を飲んで
一息ついている
これは日課だ
どうしてかって
それは
血液がさらさらと
するのではないかと
日曜日の朝は
きまって
野菜サラダとパンと味噌汁と
ヤクルトとアリナミンVとビタミンB6と
J-WAVE81-3FMのEarlyGloryの
小林涼子の声を聞いて
それから
午前9時に
近くのスーパーマルナカに行き
110円のホット珈琲タイムで
三郎の
一日がはじまる
もう40年以上前の話になるが
街にタンポポ書店という小さな古本屋があって
そこで何気なく
日々の歌という
新書より薄い小さな詩集を
見つけて買った
詩集の著者の人物は全く知らなかった
わたしは
詩は好きだったが
なぜか詩というものに違和感も感じていた
日々の歌を読んで
今までの詩に対する違和感が
吹っ飛んだ気がした
こんな詩もあっていいんだと
日常の普通の日々の生活を
詩にして書いてゆく
それだけでも
こんなに感動するものかと
それ以来
なんでもかんでも
詩にすることができる
のだと確信した
随筆も小説も童話も
哲学さえも
詩にすればいい
日々の歌として